シェアウェアの歴史Psl創始者Nelson Fordの目を通して
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シェアウエアと PsL社の歴史
PsL創設者Nelson Ford の目を通して
- 2人による フリーウェア の発明
- フリーウェアからシェアウェアへ
- シェアウェアディスクベンダの始まり
- Association of Shareware Professionals
- クレジットカード革命
- シェアウェアディスクベンダの終焉
- シェアウェアにおける変化
- シェアウェアにおけるインターネットのインパクト
1981年の IBM PCが発表される以前に、多機種コンピュータ(CP/Mマシン、Radio Shacksやアップル)のユーザグループやBBSは自分たちの製作したソフトの代償を何も求めることなく仲間間でまわしあっていました。多くは、プログラム自体小さく、簡単なものだったため、まさか、売り物になるなどとは思っていなかった上、作者たちも何もサポートなどしてなかったからです。また、1980年台前半には彼らは市販ソフトの海賊版を回しあうような小汚いこともしていました。
1982年、 Andrew FluegelmanとJim Knopf(Jim Buttonとして知られる)という2人のプログラマは各々コミュニケーションプログラムとデータベースプログラムを新しいIBM PCにて作成しました。これらを一般店に出すために時間とコストを懸けることなどせずに、彼らは海賊版の流通経路を利用してやろうと考えました。ユーザにソフトのコピーを許すかわりに、作者の更なる開発費、やそのプログラムのサポート費を多少負担するための費用を送金してもらうよう、ディスク上にてリクエストをしました。
Fluegelman はこれをフリーウェアと呼び、商標登録しました。許可なくフリーウェアとしてのソフトをだれも販売することができないようにするためです。しかし、このフリーウエアという名前はあまりよくなかったようです。Fluegelmanはこれを自由(Free)でただ(Free)ということを意図したわけではなかったからです。
1970年代にパブリックドメイン ソフトウェアの販売で行われたように、 Fluegelmann も自分のプログラムにソースコードをつけましたが、その後、何人ものプログラマがFluegelman のPC-Talkの改良版を出品しはじめ、コードのコントロールは困難になってきました。
FluegelmannはPC-Talkを改良したり、販促したりをあまりしなかった一方でKnopfはPC-Fileのソフトにおいて改良、販促に力を注ぎました。結果、彼はこのデータベースプログラムによって数百万ドル企業を創りあげました。一方、1983年別のプログラマBob WallaceがワードプロセスソフトのPC-Writeを製作し、事業として大きな成功を収めることとなりました。
人気を博したVernon BuergのLISTプログラムのような、小さなプログラムやユーティリティも多く製作されたなかで、これらの3つの人気アプリケーションは大企業相手にも好評で、フリーウェアは高品質でサポートにも優れているという信頼性を築き上げたのです。
1984年、私は有名なコンピュータ雑誌上にフリーウェアやパブリックドメインソフトウェアについての記事を書いていました。フリーウェアという名前は一般的に広く使われていましたが、その語は商標登録されており、法的には他人は使えないようになっていました。当時の代替語としては‘User Supported Software`が使われていましたが、これは重苦しい感じの言葉でした。そこで、雑誌上でフリーウェアにあたる新語のコンテストを行いました。もっとも好評な語がシェアウェアで、Bob Wallace がPC-Write上で使った語でした。
シェアウェアが最も好評な選択肢ではありましたが、その言葉に何か独占権か何か持っているかWallceにたずねたところ、回答はNoであり、古い昔の型のIBM PCについて書かれた雑誌の記事から引用した言葉であるとのことでした。
新語コンテストの第一位はシェアウェアと発表されました。当時PC-Talkはもう流通していなかったので、フリーウェアという言葉はもはや元々の意味を失い、何年か後には、現在使われているようなシェアウェア料金を払わなくてもいいソフトウェアという意味になってしまいました。そのようなソフトウェアは必ずしもパブリックドメインではなかったわけでありますが。
フリーウェアという言葉を(シェアウェアという言葉でさえ)パブリックドメインと呼んでいる人も中にはいるようですが、実際はシェアウェアや殆どのフリーウェアはパブリックドメインではありません。ソフトウェアが市場に出れば著作権はその時点で生じますが、それをパブリックドメインにするためには作者はそのことを特記しておかねばなりません。
パブリックドメインのフリーウェアも中にはあるものの、殆どのフリーウェアは、作者が著作権を有しているにかかわらず、著者にお金を払わずに‘自由に`使えるソフトウェアとして扱われているのが現状です。
1982年から1983年にかけて、フリーウェア・シェアウェアのプログラムはユーザ間でディスク交換されたりフリーBBSからダウンロードしたりと、ただで勝手に扱われていました。
1982年はじめ、我々はHAL-PC(Houston Area League of PC Users)と呼ばれるユーザグループを発足させました。その年から翌年にかけて、メンバに向けてシェアウェアのフリーコピーを配付する方法をいくつも行いました。
しかし、プログラムをレビュー、テスト、整理しなければならないのに、その数は増える一方で、また、ユーザグループのメンバや、BBSの利用者も増加の一途、そこで、ソフトウェア管理者やBBSのシステムオペレータはそのコストを利用者に課することを始めました。
カリフォルニア州では、Richard Petersonという人が、地元のユーザグループからソフトウェアライブラリのコピーを入手して、ディスク一枚につき6ドルで販売する旨の広告を雑誌に掲載しました。ユーザグループのメンバーやBBS利用者はこのことを、ただであるはずの空気に値段をつけて売っているようなものだと考えましたが、地元のユーザグループやBBSにアクセスを持たない人たちは、このような方法でソフトウェアを入手できることを喜びました。Petersonの会社はPC-SIGといい、シェアウェアのディスク販売の広告を全国的に行った始めての会社でした。
ほぼ同時期、私はコンピュータマガジン上の私のシェアウェアに関する記事の中で、ユーザグループやBBSにアクセスを持たない人々に対し、プログラムに関して意見を投書したり、注文するよう勧めてみると同時にディスクコピー代の支払いを依頼してみました。1984年にその雑誌掲載が終わった折にもプログラムの注文は受け続けており、パブリックライブラリの名の元、注文に応じていました。のちに、名前をパブリックソフトウェアライブラリとして、図書館であるパブリックライブラリとの区別をつけました。我々はまた初めてのシェアウェアに関する雑誌であるPsLニュース誌の発行も始めました。
PsLニュースは定期購読用の刊行物で、毎月発表されるフリーウェアやシェアウェア作品の新作、アップデートなどに関するレビューなどを掲載しておりました。PsLニュースは1984年から1996年の間毎月発行され、そのころには、シェアウェアのディスケットによる販売方法は、CD-ROMにとってかわり、雑誌の刊行も、PsLの毎月配布のCD-ROMディスクに取って代わりました。
80年代前半、われわれは、HAL-PCグループのためにソフトウェアライブラリサービスを行いました。(HAL-PCは、最終的には1万人以上のメンバを抱え、自らのオフィスやライブラリを有するようになった現在世界最大のユーザグループです。)ただであるソフトウェアにお金を払わされるというアイディアに古参のPCユーザたちは怒りをあらわし、Jim Buttonのような作者たちは、他人が作者のためにお金を取って販売するという方法を認めませんでした。(が、JimはHAL-PCは例外だと思っていたようですが)
しかしながら、他のプログラムは、シェアウェアベンダに成功をもたらし、結局プログラマたちはベンダが多くのまだ誰も見たことのないようなプログラムを世に送り出し、結果プログラマ達が実際に収入を得ることになる、ということを理解したのでした。
1985年、パブリックブランドソフトウェア社は、大手の流通業者であり、カタログ販売を世に広めた優れた大口取り扱いのベンダでした。それに続く、他の大口取り扱いベンダはSoftware Labs and Reasonable Solutions 社でした。これらの会社はシェアウェアの広告に年間数十万、数百万ドルもの金を費やしました。
経済的に安く郵送できるようなカタログにするために、多くの大手ディーラは数百しかプログラムをカタログ上に掲載していませんでした。PsL社では要望がどんなに小さなものであったとしても質のよいプログラムはいつでも取り扱っており、数千ものプログラムの載ったカタログを扱っていました。結果、カタログは郵送するには大きくなりすぎ、多くの顧客には行き届かなくなったものの、他のディーラが扱っていないようなプログラムを数千もの数商品として扱いました。さらに、こうしたPsL社のわかりやすい商品ラインナップがBBSや他のシェアウェアベンダにとって、シェアウェアの使いよいソースとして社の評判を上げ、こうしたユーザがさらにプログラムを他のユーザへと広めてくれたのです。
このように、薄っぺらなカタログを扱う大手ディーラと、PsL社のような分厚いカタログを有する小取り扱いのディーラはシェアウェア市場でそれぞれの位置を占めていたのです。
80年代後半にこのようにPsL社と大手ディーラが市場を占める中、数百、数千もの小さなシェアウェアベンダが現れました。コンピュータの知識や他の専門知識がなくとも、誰もが小銭程度でシェアウェアのディスクを他のベンダから入手して、カタログをつくり、そしてそのディスクのコピーを販売できてしまうわけです。こうしたベンダたちは主にコンピュータショウやフリーマーケットなどで販売していました。
Association of Shareware Professionals
1985年には、私はシェアウェアのプログラマたちに取引組織の形態のことで調査を行いました。翌年1987年のテキサス州ヒューストンにて行ったカンファレンスの準備に費やしました。このカンファレンスにはPC-WriteのBob Wallace, Procomm のTom Smith, PC-Fileを製作し、後にASPの初代会長となったJim Buttonなどの、シェアウェアのトッププログラマ達や、PC-SIGやPublic Brandのベンダ、そしてBBSのシステムオペレータたちが集まりました。
その会から組織されたのは、 Association of Shareware Professionalsや、後にベンダ(流通販路)やBBSをも加えるようになる、シェアウェアプログラマたちの取引組織でした。関係者の努力により、ASPは成功を収め、シェアウェア発展に大変重要な役割を担ったのです。
ASPが組織された頃に、あぶく銭稼ぎのシェアウェア販売人が次々と現れ、‘Get free software (ただのソフトいかがですか?)‘のように宣伝をしました。これにはお金が支払われることを期待している作者は嘆き、ユーザはソフトを入手する際にディスク代としてコストを支払いをした後、さらに支払いをしなければならないことがわかって呆然とするようなことが起こったのです。
同時にプログラマたちも自分の製品に問題を抱えておりました。中には、ユーザがほとんど試動できないといった不具合のソフトウェアもあったのです。ドキュメントの中には、ユーザはみなソフトウェア泥棒で不正をしている、とまで述べているものもありました。また、中には支払いをしないユーザに対して‘のろいをかける‘といったばかげてプロとして恥ずかしいような方策を採るものもいました。そして多くのプログラマたちはユーザからの初期の反応が悪いと自分のプログラムへの興味を失いサポートすることをやめてしまい、そしてユーザたちはますますプログラムに対して送金することに躊躇するようになっていったのです。最後にはユーザたちは、こういったプログラマとのいざこざに打ち勝つことができずに行き場を失っていったのです。
ASPメンバは、自分たちのシェアウェアに不具合が生じないよう同意しあっており、ユーザに敬意を払い、ある程度以上のサポートは約束し、期待に反するときには返金に応じる旨の約束をしておりました。さらにASPロゴのついたプログラムは、作者がしっかりサポートや返答に応じてくれるソフトであることを確信させるものでありました。また、ASPメンバとのトラブルが解決できない場合は、ASPオンブスマンに頼ることもできました。
そのほかのASPの功績としては、シェアウェア産業を保護したことであり、これは個人個人のメンバには効率的にできなかったことでした。あるケースではASPはPC-SIGがシェアウェアということばの商標を獲得することを止めさせました。また別のケースでは、それまでシェアウェアのプログラマにとって好意的ではなかった議会の以前の法案の言葉使いを変えさせるということを行いました。
次にASPメンバがおこなったのは、ユーザにシェアウェアは‘FREE`であるという誤理解を与えていたベンダに対して策を講じることでした。そこでASPはベンダメンバーシップを組織し、シェアウェアに関して顧客への公正な開示に関することやプログラマの権利の尊重に関してのルールを整えました。
見返りとしてASPベンダはASPプログラマのソフトウェアを配布することができ、プログラムを焼いたCD-ROMを入手できるといった利益を享受できるようになりました。
さらに、プログラマへの利益として、コンピュサーブでのASPフォーラム上のシェアウェアマーケティングに関する情報交換ができるようになり、ASPウエブサイト上のメンバのウェブページへのフリーリンク、月間ニュースレター、ASPメンバのソフトウェアのベンダやBBSへの低価格提供法などが得られるようになりました。
プログラマが直面した問題のひとつに、小規模なメールオーダ会社はクレジットカードの加盟店権利を取得するのが困難だったことがあります。プログラマが受けることができた支払い方法はチェックかマネーオーダなど小切手に限られていたということです。ASP発足前ユーザたちはシェアウェアへの登録のためにチェックを郵送しなければならず、郵便物の紛失やそのまま返ってくることなどもしばしばありました。
このようなことでユーザはシェアウェアのための送金に躊躇せざるをえなかったのです。大手企業のシェアウェアユーザにもまた障害がありました。すでに使用しているプログラムへの支払いを認めた小切手リクエストを入手することは、クレジットカードの支払いを払い戻すよりも困難だったのです。
シェアウェアプログラマが例えクレジットカードの加盟店権を獲得できたとしてもほとんどの人には本業があり、一日中電話による注文を受けるスタッフを雇うような余裕はありませんでした。が、大きな成功を収めたシェアウェアプログラマのなかには、日々の業務に追われるよりは自分のプログラムに精を出すほうがよいと考える者もいました。
1989年PsL社は800#(フリーダイヤル)によるクレジットカードでの受注サービスをはじめ、ファックスや電子メールでの注文もわずかな手数料で受けておりました。
このサービスはいまや2000以上のシェアウェアの作者たちに利用されているわけですが、当時も大幅に注文数を増加させました。いまや小切手を郵送することなどなく、PsL社に電話をして、クレジットカードのセキュリティ機能を備えた方法で注文をすればよいのです。それに、多くのビジネスマンたちはクレジットカードを使って容易に注文できました。シェアウェアへお登録をするときに会社から小切手リクエストの承認を得ることはとても障害になったからです。さらに1000を超えるシェアの作者たちはPsL社のウェブ上の注文サービスによっての登録を行わせていました。
ちょうど80年代に誰もが‘シェアウェアのディスクベンダ‘になれたように、当時はクレジットカードの加盟店権とウエブサイトさえ持っていればシェアウェアの注文処理業務が行えました。多くの業者はプログラマたちの金をとってそして廃業していきましたが、大きな成功を収めた業者もいくつもありました。フリーダイヤルによる受注法が電話オペレータやオフィススペースなど多くの支出が必要であった一方で、彼らは自動化されたウェブ上のオーダだけをおこなって人件費や投資をほとんど費やさなかったからです。
1993年、PsL社においてシェアウェアのディスケットの販売数や、シェアウェアCD-ROMの月間生産量は急激に下降しました。我々はこの事業に大きな恐怖を感じはじめました。というのも他のベンダやBBSは月間1000ドルもしくはそれ以上を我々から新しいプログラムのフロッピーを入手するためにかけており、そしてわれわれは同様のことをサブスクリプション ベースで20ドルで提供していたからです。
安心したことには、今日のようにほとんどの人がCD-ROMドライブを持つ前の時代ではあったものの、CDが大ヒットしたのです。PC-SIG社はCD-ROMに数百ドル程度の売り上げがあり、CD-ROM マーケットでは大きな売り上げを占めていました。
われわれの商機は正しかったようで、フロッピーの売り上げは大幅に落ち込み、ベンダの中には閉業するものや破産していくものも少なくありませんでした。PC-SIGは突然説明もなしに閉業し、パブリックブランド社は、シェアウェアディスケットの販売をやめる前にカタログを増刷したZiff-Davis社に売却されました。
CD-ROMユーザの拡大と、シェアウェアCD-ROMの低価格の実現、そしてインターネット利用者の拡大の中で、シェアウェアをディスケットで販売してきた会社は消えていきました。一方PsL社では数少ないながらCD-ROMドライブを持たない個人向けにディスケットを販売し続けました。
1980年代半ばにさしかかると、経験により、シェアウェアを製作することで儲けるには、ワードプロセッサ(例えばPC-Write)やコミュニケーションソフト(例えばPC-Talk)、データベースプログラム(PC-File)のようにビジネス用の人気ソフトを作る必要があるとわかってきました。
明らかに、自分で製作した作品に‘PC-‘で始まる名前をつけることができた先駆者たちはある意味ステータスシンボルでした。しかし、他のプログラマは似たようなプログラムで後を追い、成功を収めたのです。特筆すべき製品はコミュニケーションプログラムのProcommで、この作者はのちにこの製品をシェアウェアから引きあげて、富を築き上げました。一方で、ゲームやユーティリティの作者たちは1980年代においてはあまり大きな成功には至りませんでした。
1990年代初期、小売ソフトウェア市場における競争は、人気ビジネスアプリケーションの値段に絞られていました。一方でシェアウェアでの似たような分野のプログラムの値段は年々高くなっていました。
Windows の人気が高まり、そしてマイクロソフト社のような大手は、ワードプロセッシング、グラフィックス、スプレッドシート、データベースなどのセットになったアプリケーションを比較的安価で提供していく一方、シェアウェアのビジネスアプリケーションの売り上げは落ち込んでいきました。
PC-Write, PC-File、そしてDOSベースのビジネスアプリケーションはシェアウェアからは姿を消し、一方でゲームやユーティリティの作者たちはシェアウェア業界のリーダとなっていきました。Apogee Software社のScott Millerは、シェアウェア上でのゲームの販売戦略で有名になりました。そのゲームはシェアウェアのみならず、全ソフトウェア市場での大ヒットとなりました。
また、その戦略とは、シェアウェア上にてアクションアドベンチャーゲームの最初のほんの数段階のみ発売し、続きはソフトウェア出版社からのみ購入できる、というようなものでありました。
他のプログラマの中には、支払いをユーザに強いるがためにわざとソフトウェアに不具合を生じさせ、ユーザにシェアウェアでは完全に使えて評価できはしない、と不満を募らせていた一方で、Apogeeのシェアウェア製品は完全で十分プレイを楽しめ、ユーザはますますのめり込み続きがやりたい、と思わせるようなものだったのです。
Doom, Duke Nukem、Quakeはこのような商法でのもっとも成功を収めた製品でした。
一方、Association Of Shareware Professionalsはわざと自分の製品に不具合を生じさせることがないように同意し合っており、時間制限を加えたり、ユーザに十分製品を試行してもらえる範囲での制限を設定してもよいという姿勢をとって無期限に支払いなく使用させることはないようにしておりました。
プログラマはかならずしも制限をつけることを必要と思っていたわけではありませんでしたが、Winzipのような大成功したプログラムなどは、通常のシェアウェアのスタート画面上でシェアウェアのコンセプトを説明したり、オーダー方法を述べたりする以上に、ユーザを刺激して売り上げを伸ばしていきました。
コンピュサーブやアメリカオンラインのようなオンラインサービスはシェアウェア流通業者やBBSに影響を与えるとは思われていませんでした。1980年代の遅いモデムと高いオンラインコストによって、シェアウェアのディスケットを入手するか、運がよければ地元のBBSから入手することが安くて容易な方法だったのです。
しかし、スピードの速いモデムが安くなり、インターネットアクセスが安くなるにつれてシェアウェアにも大きな影響を与えるようになりました。(が、次第に大きくなるファイルサイズはそのインパクトを差し引いて考えなければならなくなりましたが。いまではウェブ上での5-10MBやさらに大きいファイルはもはや珍しくないので。)
インターネットユーザはまるで、大きな衛星アンテナの所有者が衛星放送ですべてのチャンネルが暗号化されるまでの間に味わったような、'タダ乗り'のような気分になりました。
まるっきり無料ではなかったものの、月々10ドル、それ以下で無制限でアクセスし放題は、すばらしいことでした。というのも、インターネットシステム全体は、コンピュータシステムと公衆電話回線上に作られているため、インターネット利用者はその利用代金を負担することもなかったからです。
従来のディスク使用のシェアウェア業者やBBSに支払いをしている人たちはウェブ上にショップを作成し、アクセスに料金を科していながらも、彼らは同様のプログラムをアクセス無料にて配布している人気サイトに対抗していたのです(あなたなら同じプログラムを得るのにどちらを利用しますか?利用にお金がいるのと、一方、無料で利用できるのと)。
無料のサイト運営者は自分のサイト上での広告による収入を期待しており、その収入はサイトに訪れた人の人数により増減しました。ネットマガジン最新号ではこのようなサイトでは、広告収入はSTELLAR??
よりは少ないといわれました。たとえば、つい最近では、Best Zipsと呼ばれるサイトは、ダウンロードサイトをサポートするために十分な広告収入を期待したものの、サイトの閉鎖を余儀なくされました。
未だに、ユーザの要求は、即解除キーを得ることができ、何週間も郵便を待つことなく登録した製品を入手できるオンラインオーダに向いているようです。そして、ユーザはいったん即効で満足できるものを手に入れられるようになったのに、どうして何週間も郵送されてくるソフトウェアを待つことができるでしょうか?
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